仕事

記事がかけないスランプで動けなくなったわたしの背中を押してくれたあの人

記事が書けないスランプ

WEBライティングのスランプ

たぶん今、スランプです。
同時進行で運営しているサイトの記事がが書けなくなっています。

こんなわたしにも記事を書くことが自然にできていた頃がありました。
「あの頃はどうやって記事を書いていたんだっけ?」
と思い出してみると、なにも考えなくても言葉が浮かんできていたような気がします。

「いつ頃から作りはじめたんだっけ…」と調べていたら、初めて自分メディアを持ったときのフリーブログ(gooブログ)が残っていました。

ブログを書き始めたのは15年前

随分前に休止したままですが、最初に作ったgooブログにログインしてみたら、2003年に始めて2011年ころまで書いています。

「15年前から7年前まで書いてたってすごいな」と我ながら思いました。

恥ずかしくて読めない昔のブログ

この初期のブログですが、現在はすべての記事を非公開にしてあります。
ログインしてはじめて過去の記事一覧がわかるのですが、確認してみると約8年分の膨大な記事が入っていました。

書くのを止めていた時期もあったりするのですが、よくもまあこんなに書けたものだなと感心してしまうほどの記事数。

ただ。
いくつか読んでみると文章が稚拙…。
内容も薄っぺらくて、はずかしくて読めたものではありません。

そう考えると、人様に読んでもらって多少なりとも「参考になった」と思ってもらえる記事というのは、はやり産みの苦しみを伴うものなのかも。

スランプ上等!
なのかもしれませんね(笑)

書くことの楽しさを思い出したい

ただ書きたいことを思いついたままに書くというのは楽しかったし、書くことへの勢いがありました。

コメントがついたりして「誰かが読んでくれている」という実感もあったし、自己開示したことを知らない誰かと共感しあえることの楽しさもありました。

この感覚、いまのSNSでは体験することができません。
mixiにはじまり、Twitter、Facebook、Instagram…
「SNS疲れ」という言葉を聞くようになってずいぶんたちますし自分でも体験してきましたが、初期ブログはSNS疲れとは無縁の、わたしにとっては特別な存在だったことを思い出します。

自動車教習所の教官の言葉

なぜか、18歳のときに通った自動車教習所のことを思い出しました。

S字クランク、縦列駐車。
無我夢中で自動車の扱いを学んできたのに、路上教習を重ねていくうちに、うまくいかないところばかりが目につくようになりました。

「ぜんぜんうまくならない…」

自分の未熟さを痛感してそうボヤくわたしに、
「自分の下手さがわかってきたということは、上手くなってきている証拠だ」
と教官が言ったのです。
おまけに「君はセンスがあるほうだ」と褒めてもくださった。

自分の至らない点に気づくということは大きな進歩であり、ちゃんと成長している証拠なのかもしれません。

「よし。もう1記事書いてみよう」という気持ちになりました。
もう名前もお顔も思い出せないその教官に感謝しつつ。